昨日は、日曜日。
滅多に家族で出かけることのない我が「奥の家」が一同揃って、外出してまいりました。
そう、実は私結婚して、子供(10ヶ月)もいます。
四国上陸の折は、1人でしたが、いつの間にか増えました。
まあ、それはさておき、日曜日に何処に行って来たのかというと、
「全国かまぼこ板の絵展覧会」の表彰式に出席するためでした。
愛媛県西予市城川町に「ギャラリーしろかわ」という処があるのですが、そこで毎年かまぼこ板に描いた絵のコンクールがあります。
0歳から90歳以上の老若男女が1万点以上の作品を送って来るそうですが、その審査員賞の1つである車だん吉賞をいただいたのです。
えっ、誰って?
残念ながら、奥の家♂の私ではありません。
奥の家♀、つまり、嫁の方です。私は、我が愛息ユウクンのお守で行きました。

この写真を撮るために、会場内にユウクンと入ったら、突然大泣き!!
が、まあ自分の息子が泣いているのだから、この場合はご愛嬌。
プレゼンターの車だん吉さんも、かまぼこ板の絵に描かれている赤ちゃんの姿を確認できて、喜んでくれていました(多分?)。
奥の家♀の受賞の瞬間が撮れたら、即退散。
あまり外でぐずらない子だけど、今回は最後の方になったら、ご機嫌斜めでした。
今度は、かまぼこ板の絵の展覧会に行かないと!!
それよりも、来年は、私も描いて、応募しようかな。
ところで、四万十川流域に移住したいと言っても、すぐに出来るものではありません。
何と言っても、農業をするのならば、農地が必要になります。
しかも、永住の地にしたいのならば、賃貸ではなく、購入したいと思うのが人情です。
という訳で、農業の技術もさることならば、農地を探すことにしました。
・・
・・・
・・・・
が、
・・・・
・・・
・・
実際は、これがなかなか難しいのです。
都会の人は、得てして思うことでしょう。
田舎は、都会と違って、土地があり余っているのだから、土地なんて、安くて、だだっ広い所がうじゃうじゃあるんじゃないか、と。
まあ、確かに土地はあります。しかも、少子高齢化の度合いが著しい田舎では、もう耕作放棄地が腐るほどあります。
けれど、売ってくれる土地はあまりありません。
何故??
今日は、ストローベイルハウスを作っていました。
といっても、もう建物自体は完成していたので、後片付けです。
四万十川を望む岸辺に、ストローベイルハウスを建て始めて、もう1年以上が経ちましたが、漸く完成させることが出来ました。
出来上がりは、こんな感じです。

ちなみに、ここはケーキ屋さんになる予定です。
念のため、ケーキ屋をするのは、私ではありません。(ケーキの作り方はあまり知りませんし、嫁はケーキを食べさえしません。)
では、ストローベイルハウスを作ることを仕事にしているのかというと、これまた違います。
本業は、やっぱり複合農業家です。といっても、今のところ、スコップと一輪車と共に、土木作業員のようなことをしていますが・・・
まあ、何はさておき
何故か、ストローベイルハウスワークショップを開催することになり、何故か、仲間と共に、ストローベイルハウスを建ててしまいました。
・・・・
・・・
・・
???
・・
・・・
・・・・
世の縁とは、不思議なものです。
誰一人知っている人さえいなかった8年前から、今ではストローベイルハウスなんていう解説がないと訳の分からないようなものを地元に作るようになったのですから・・・
伊達に、苦難を味わっている訳ではないようです。
研修も2ヶ月も過ぎると、暑さも和らぎ、身体も作業に慣れ、自分でも農業をやっていけるのではないか、と思えるようになって来ました。
というわけで、複合農業での起業を志すことにしました。
実を言うと、研修期間中にも、色々とあったのですが、このことは別の機会にでも・・・
とりあえず、どうして四万十川に移住することになったのか、漸く確信に近づいて来ました。
「山奥に住みたい」という動機については既に書きましたが、この時点での居住地は、四国の愛媛県です。
離島は離島でも、もう少し大きな離島ということで、この時点で、ターゲットは四国に決定しました。
後は、四国の何処にするか、です。
四国の地図を見ると、四万十川のある足摺岬方面と室戸岬方面という二つの角が太平洋に飛び出ています。

この地域は、見るからに開発されにくそうにです。
そう、山奥に住むからには、今後も開発される可能性の少ない場所にしたかったので、四国ならば、ここら辺がいいかな、と漠然と思ってしまいました。
といっても、室戸岬は、現在の居住地の愛媛から遠かったので、おのずと足摺岬方面がターゲットに選ばれました。
しかも、この辺には、「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川があります。
そうなんです。
自然が豊かな山奥、しかも、今後も開発されそうにないという理由から、四万十川の流域に移住の地を探すことになったのです。
地元の人には、怒られそう・・・(汗)
農業研修塾に到着して、とりあえず1週間の研修を申し込みました。
研修塾と言っても、何か特別な講義があるようなところではなく、日々の作業を手伝うという感じの研修でした。
しかし、農作業を手伝い始めて、気づいたことがありました。
き、きつい。
基本的に文科系なので、あまり野外作業とかは体験して来なかったのですが、体力には多少自信がありました。が、そんな自信は吹き飛びました。
ともかく、塾長以下、塾生の方々も、口を揃えて言いました。
7月の梅雨時期に来るのが馬鹿だ!!
そうなんです。
7月の初旬は、梅雨の湿気と初夏の太陽が入り混じり、まさに蒸し暑い。
しかも、身体が暑さに慣れていないので、一層きついのです。
そんな時期に農作業の初体験をするのは、本当にきつかったです。
しかも、この研修塾は、午前10時から昼まで、炎天下の中しっかり作業をするのです。(普通の農家はあまりしません。)
それだけではありません。休みの日がありませんでしたので、身体を休める暇がありません。
そんなこともあり、1週間もしたらかなりバテバテになってしまいました。
が、このことがかえって、私を四国に踏み止まらせたのです。
だって、このまま研修を終了して、屋久島に行ってしまったら、
まるで、きついから逃げたみたいじゃないですか!!
それはそれで、自分自身に納得がいかなかったので、とりあえずその研修塾で1年間の研修を受けてみることにしました。
こんな理由で良いのか悪いのか、ともかく四国の愛媛県に1年間の移住が決定しました。
しかし、この「僕が四万十川に移住した理由」というテーマは、いつまで続くのだろう。
このブログ、もっと画像を使いたいのに、全然使えない。なぜなら、この時期の画像は全然残っていないから。自転車にカメラはなかなか積めないし、そもそもまだデジカメも高かったので、持ってすらいなかったので・・・
が、とりあえず画像をアップしたいということで、現在の奥の家♂の生息状況をお見せしましょう。と言っても、たいしたことないけど・・・

しかし、四国に上陸してから7年も経つのに。未だに、スコップ片手に畑を整備しています。
・・・
・・
いったい何をしていたのでしょう? 7年も・・・
実を言うと、ここに至るまでには、苦難に次ぐ苦難の連続・・・ほんと、苦難ばっかりありました。
車が横転すること2回、スズメバチに襲われること1回、山火事を起こしそうになったこと1回、火事にあうこと1回、土石流に合うこと1回等々・・・・
よく生きているな(汗)。自分でもびっくりです。
リトルカブにまたがって、徳島県の小松島のフェリーターミナルに到着して、そのまま愛媛県を目指しました。
もちろん、原付自転車ですから、高速は使えません。ですから、カタツムリのように、国道をゆっくり走りました。(一日の移動距離は、人力の自転車とあまり変らなかったように思います。)
そもそも、リトルカブですから、荷物も寝袋とか多少の着替えぐらいしか乗せられません。自転車よりはましですが、似たり寄ったりと言ったところです。
そんなやる気があるのかないのか分からない身支度で、とりあえず研修塾に顔を出し、1週間ぐらい滞在して、自分が居ても意味がないかな、と思えるようなら、そのまま屋久島を目指すつもりでした。
そう、この時点では、最終目的地は屋久島だったのです。
複合農業が自分に合わないと分かったら、もっと別の何かを探して、屋久島にもう一度行ってみるつもりだったのです。
実を言うと、四国に行く前から、屋久島での農業での起業は、正直難しいと感じていました。
なぜなら、屋久島は、離島だけあって、土地を購入するのも、物を売るのも難しいからです。卵を都会に向けて売ろうとしても、船便では翌日着は絶対に無理です。島内の人口は少ないし、資材の購入も容易でないし、そもそも物価が高い。(離島は、船便の経費が余計にかかるので、実を言うと、物価が高いのです。)
ですから、屋久島の自然は魅力的でしたが、複合農業をするのならば、離島は離島でも、もう少し大きな離島の四国や九州辺りでないと難しいかな、と感じていたのです。
というわけで、とりあえず四国に上陸しました。実際に、複合農業で生計を立てているという研修塾に行くために・・・
その本の題名は、「ほどほどに食っていける、百姓入門」だったと思います。
「ほどほどに食べていける」という言葉に惹かれて読んでみると、養鶏と野菜を組み合わせた複合農業による百姓経営について書かれていました。現在は、移住希望者にはかなり知られた経営方式ですが、その当時はまだあまり扱われた事例がなく、新鮮でした。
そして、こんな方法ならば、自分でも出来るのではないだろうか!、そんな思いをもてるものでした。
しかも、さらにこの本を読んでみると、著者は四国の愛媛の方で、農業研修塾を主宰しているということ。
そこで、一度この研修塾を訪れてみることにしました。
・・・
実を言うと、この時点では自転車しか移動手段がなかったので、ホンダのリトルカブを購入し、それにまたがって四国に上陸しました。
東京に戻ってみると、やはり山奥で暮らしたい、というより、暮らさなければ、という想いに駆り立てられました。
しかし、現実問題として、収入がないと生活できません。
山奥で自給自足ということがよく聞かれますが、どんな生活であろうと、衣食住は必要で、現金収入はやはり必要となります。
さてはて、山奥で生活するのはいいとして、どんな仕事をしようかな、と想いを巡らせました。
田舎と言えば、農業、林業、漁業・・・都会人が思い浮かぶであろうイメージが並びます。
何しろ、東京生まれの東京育ちなので、山奥の実情には全く精通していません。
自転車旅行をしながら情報収集しましたが、地元の人は口を揃えて言います。「仕事がない、仕事がない」と。地元の人でさえ仕事がないのに、身も知らない、何処の馬の骨とも分からない者を雇ってくれるところなどある訳ない。
そこで発想を転換しました。
仕事がないなら、自分で仕事を作ればいいじゃないか、と。
という訳で、自営業できる仕事に的を絞ってみることにしました。
そこで、とりあえず本を読んでみました。7年前の頃は、まだ田舎暮らしに関する本は、そんなに沢山ありませんでしたので、手に入るものを端から読んで行ったのですが、その中で気になる本がありました。
太平洋岸に沿って走っていると、四国にはとても魅力的な所が沢山ありました。
もちろん、四万十川もその1つでした。
が、この時に一番印象に残ったのは、何を隠そう九州の離島、屋久島でした。
屋久島の自然は、とても奥が深く、魅力を感じました。
私が訪れた頃は、世界遺産に認定されて、また、ちょうど屋久島の森がイメージされた「もののけ姫」も公開された後だったので、屋久島が観光地として脚光を浴び始めた時でした。が、そんなことは関係なく、そのダイナミックな自然に魅了されてしまいました。
しかし、屋久島には、2ヶ月近く滞在していましたが、実際に滞在してみると、迷いが出てきました。それは、南国で暖かいだけでなく、とても雨が多いので、時間がとてもゆっくり流れていると感じられたことでした。
滞在していたのは、ライダーハウスで、同じように長期滞在している人がいたのですが、そうした集まりの中に身を置いてみると、自分はもっと何かしなければならないのではないか、もっと切迫感のあるところで生きないといけないのではないか、そんな感情が沸いてきたのです。
そこで、私はこの時の旅を一度切り上げて、東京に戻ることにしたのです。